注意点

戒名の広告が度々出てきますが、そんなものに大金を費やすくらいならば、日蓮大聖人の仏法を一人でも多くの人に語ることへ時間と労力を費やしましょう


2012年1月22日日曜日

永遠という場所

●男子部教学主張大会から

妙法の眼から見れば「生」も「死」も、「本有の生死」すなわち
生命に本源的に具わった現象であり、生命の変化相にほかなりません。

ある時は、大宇宙に冥伏して「死」の状態として潜在化し、また
有る時は「生」の状態として顕在化する。
初めも無ければ終わりもありません。

この三世永遠の生命観に立脚するが故に、大聖人が「生死を見て、
厭い離れようとすることを迷いといい、始覚というのである。
そのままで本有の生死と知見することを悟りといい、本覚と
いうのである」(御書754ページ通解)と述べられているとおり、
生死の流転から目をそらすことなく、現実世界で生き抜いていく
中で、三世にわたる自在の大境涯を開いていくことができるの
です。

池田先生が『法華経の智慧』の中で「『死』を意識することが、
人生を高めることになる。
『死』を自覚することによって、『永遠なるもの』を求め
始めるからです。
そして、この一瞬一瞬を大切に使おうと決意できる」と
教えてくださっているとおり、「死」を直視することが、
「生」の充実につながるのです。




永遠はあるのです。
今私たちがいるところにあるのです。


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