正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、
是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず
時のしからしむる耳、春は花さき秋は菓なる夏は・
あたたかに冬は・つめたし時のしからしむるに有らずや
(報恩抄、御書329ページ)
【通解】
極楽浄土での百年の修行の功徳は、汚(けが)れた、
この国土での一日の修行の功徳に及ばない。
正法、像法二千年の弘通は、末法の一時の弘通に劣るであろう。
これは、日蓮の智慧がすぐれているからではない。
ひとえに弘むべき時節が来たからである。
春は花が咲き、秋は果がなる、夏は暖かく、冬は冷たい、
これらも時のしからしむるによるゆえではないか。
極楽での修行はもはや修行とは呼べませんね。