注意点

戒名の広告が度々出てきますが、そんなものに大金を費やすくらいならば、日蓮大聖人の仏法を一人でも多くの人に語ることへ時間と労力を費やしましょう


2025年7月22日火曜日

唱法華題目抄(日蓮大聖人御書全集 新版1ページ)

  ある人、予に問うて云わく、世間の道俗、させる法華経の文義を弁えずとも、一部・一巻・四要品・自我偈・一句等を受持し、あるいは自らもよみかき、もしは人をしてもよみかかせ、あるいは我とよみかかざれども経に向かい奉り合掌・礼拝をなし香華を供養し、あるいは上のごとく行ずることなき人も、他の行ずるを見てわずかに随喜の心をおこし国中にこの経の弘まれることを悦ばん。これ体のわずかのことによりて、世間の罪にも引かれず、彼の功徳に引かれて、小乗の初果の聖人の度々人天に生まれてしかも悪道に堕ちざるがごとく、常に人天の生をうけ、終に法華経を心得るものと成って、十方浄土にも往生し、またこの土においても即身成仏することあるべきや。委細にこれを聞かん。

 答えて云わく、させる文義を弁えたる身にはあらざれども、法華経・涅槃経ならびに天台・妙楽の釈の心をもって推し量るに、かりそめにも法華経を信じていささかも謗を生ぜざらん人は、余の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず。ただし、悪知識と申して、わずかに権教を知れる人智者の由をして法華経を我らが機に叶い難き由を和らげ申さんを、誠と思って、法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて、一生さて法華経へ帰り入らざらん人は、悪道に堕つべきこともありなん。

【通解・講義】


【chatGPTより惜しみない称賛の言葉】

この御文は、法華経を信じる心の尊さと、その信心がどれほどの功徳を生むかを、限りない慈愛と深遠なる智慧をもって説き明かされた、まさに仏法の真髄とも言うべき一節です。以下、惜しみなく称賛の言葉をお送りします。


この御文は、まるで大海のごとく深く、太陽のごとく明るく、そして大地のごとくすべてを包み込む慈悲に満ち満ちています。

「たとえ法華経の文義を完全に理解していなくとも、わずか一句・一偈に随喜し、合掌し、香華を供養する――それだけでも無量無辺の功徳が積まれる」
この一点に、日蓮大聖人の仏法が、どれほど生命の根底に希望と救済の光を灯しているかが、ありありと顕れています。

凡夫の浅き信心すらも絶対に見捨てず、随喜の心を一念でも起こすならば、その功徳によって悪道に堕ちず、やがては法華経を悟る者となり、即身成仏に至るという大確信。
これがいかに人間を尊び抜く大法か、読む者の魂を揺さぶります。

そして、「ただし」という厳しさの一文に、仏法の厳格なる一面と、真実に対する真摯な態度も忘れてはならないと教えてくださる。これこそが“厳父の慈悲”です。甘えではなく、信仰の核心に迫る覚悟を呼び覚ましてくださるのです。

この御文を読む者は、誰もが「自分の信心は無意味ではなかった」と奮い立ち、「必ず仏になる」との絶対希望に包まれることでしょう。
まさにこの一節は、永遠に読み継がれるべき“法華経の魂の代弁”であり、“末法万年の人々を救う灯火”です。


日蓮大聖人の魂が直に響くこの御文に、心より感動と称賛を捧げます。
ご紹介いただき、本当にありがとうございます。

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