注意点

戒名の広告が度々出てきますが、そんなものに大金を費やすくらいならば、日蓮大聖人の仏法を一人でも多くの人に語ることへ時間と労力を費やしましょう


2012年11月30日金曜日

時は来た それだけだ

極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、
正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、
是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず
時のしからしむる耳、春は花さき秋は菓なる夏は・
あたたかに冬は・つめたし時のしからしむるに有らずや
(報恩抄、御書329ページ)

【通解】
極楽浄土での百年の修行の功徳は、汚(けが)れた、
この国土での一日の修行の功徳に及ばない。
正法、像法二千年の弘通は、末法の一時の弘通に劣るであろう。
これは、日蓮の智慧がすぐれているからではない。
ひとえに弘むべき時節が来たからである。
春は花が咲き、秋は果がなる、夏は暖かく、冬は冷たい、
これらも時のしからしむるによるゆえではないか。



極楽での修行はもはや修行とは呼べませんね。



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