妙とは云うなり不思議とは心も及ばず語も及ばずと云う事なり
(中略)此の妙なる心を名けて法とも云うなり、此の法門の
不思議をあらはすに譬を事法にかたどりて蓮華と名く、
一心を妙と知りぬれば亦転じて余心をも妙法と知る処を
妙経とは云うなり、然ればすなはち善悪に付いて起り起る処の
念心の当体を指して是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば
成仏の直道とは云うなり(一生成仏抄、御書384ページ)
【通解】
そもそも「妙」とは、どのような意味であろうか。
それはただ、自身の一念の心が不思議であることを
「妙」とはいうのである。
不思議とは、私たちの心の働きも及ばず、また、言葉でも
表わせないということである。(中略)
この「妙」である心を名づけて「法」ともいうのである。
この法門の不思議を譬喩で表すのに、具体的な事物に
なぞらえて「蓮華」と名づける。
一つの心を妙と知ったならば、さらに転じて、そのほかの
心もまた妙法であると知ることを「妙経」というのである。
したがって、法華経は、善であれ悪であれ、一瞬一瞬に起こる
一念の心の当体を指して、これが妙法の体であると説き宣べて
いる経王なので、成仏の直道というのである。
聖教新聞では「“心”の変革に挑戦し続けることによって、
未来をも変える事ができる」と解説されています。
自分の心から望む未来を作っていきましょう!
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