尊い命をなんのために使うのかが大切であり、大聖人は、
〝仏法のため、広宣流布のために、その命を使いなさい、
捧げなさい〟と言われている。
仏法のために命を捧げるといっても、単に、死を意味している
わけではありません。
わが人生の目的は広宣流布にあると決め、生涯、仏法の
ために働き、生き抜いていくことが、仏法に命を捧げることになるんです。
それによって自身の境涯革命、人間革命、一生成仏がなされ、
最高に充実した、歓喜に満ちた、幸福な人生を生きることが
できるんです。
したがって、法華経に『不自惜身命』とありますが、その境地は、
決して悲壮感に満ちたものではありません。
それは、いかなる困難も恐れず、勇気と挑戦の息吹にあふれ、
生きていること自体が、楽しくて楽しくてしょうがないという境涯です。
エゴイズムに支配された〝小我〟ともいうべき自己の殻を破り、
仏法という大法に則った〝大我〟の自分へと蘇生し、最高の
自分というものを確立していく大道なんです。
世間でも『死を先んずる者は必ず生ず』と言われるように、
死を覚悟した人は強い。
広宣流布に一身を捧げようと心を定めるなかにこそ、自分を
生かし、本当の自己の輝きを放っていく方途があるんです。
もともと、私たちは、広宣流布の使命を果たすために
生まれてきた地涌の菩薩です。
ゆえに、勇んで弘教に邁進していくなかで、私たちの本領を
発揮することができるんです
命は最も大切な仏道修行に使いましょう!
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