八十種好を備うるなり、如我等無異と申して釈尊程の仏に
やすやすと成り候なり、譬えば鳥の卵は始は水なり其の
水の中より誰か・なすとも・なけれども觜よ目よと厳り出来て
虚空にかけるが如し、我等も無明の卵にして・あさましき身なれども
南無妙法蓮華経の唱への母にあたためられ・まいらせて
三十二相の觜出でて八十種好の鎧毛生そろひて実相真如の
虚空にかけるべし、爰を以て経に云く「一切衆生は無明の卵に
処して智慧の口ばしなし、仏母の鳥は分段同居の古栖に返りて
無明の卵をたたき破りて・一切衆生の鳥をすだてて法性真如の
大虚にとばしむ」と説けり取意(新池御書、御書1443ページ)
【通解】
南無妙法蓮華経と他の事にとらわれることなく唱へていくときに
自然と三十二相・八十種好を備えるのである
「我が如く等しくして異なることなし」といって釈尊のような仏に
簡単に成るのである。
たとえば、鳥の卵は始めは水である。
その水の中から、だれかがしたということもないけれども、
觜・目と身を荘厳することができて、やがて大空に飛翔する
ようなものである。
私達も無明の卵で浅ましい身であるけれども、
南無妙法蓮華経の唱目の母に暖められて三十二相の觜が
出てきて八十種好の鎧毛が生え揃い、実相真如の虚空に
飛翔することができるのである。
このことを経には「一切衆生は無明の卵に身を置いて智慧の觜はない。
仏母の鳥は分段・同居の古栖に帰って、無明の卵を叩き割って
一切衆生の鳥を巣立てて、法性真如の大空に飛ばせる」と説いている。(取意)
煩わしい卵の殻をとっとと叩き破りましょう!
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