雙林最後にも訪わず不孝の失之れ有り迹門の十四品にも
来らず本門の六品には座を立つ但八品の間に来還せり、
是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す末法の
初に出で給わざる可きか、当に知るべし此の四菩薩折伏を
現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と
成つて正法を弘持す。(如来滅後五五百歳始観心本尊抄 御書253ページ)
【聖教新聞の教学より】
日寛上人はこの御文について「法体の折伏」と「化儀の折伏」の
二つの意義があり、法体の折伏については「蓮祖の修行これなり」
(文段集546ページ)として日蓮大聖人の実践がそれに当たると
述べています。
日蓮大聖人は大難を乗り越えて諸宗を破折し、末法に流布する
三大秘法の法体を確立されました。
その故に大聖人の実践が法体の折伏に当たります。
その確立された法を現実社会に広め、実現していくことが化儀です。
その実践は「賢王」の働きであると仰せです。
賢王ですから、その担い手は在家です。
在家の人々が愚王すなわち仏法を理解しない勢力と戦いながら
妙法を弘めていくことが化義の折伏なのです。
それでは、末法において現実の社会に妙法を弘通してきた在家
とは何かといえば、事実に照らして、それは創価学会以外に
ありません。
創価学会こそが化儀の折伏を担ってきた唯一の存在なのです。
その故にこの御文は、創価学会の仏法上の意義を示されたものと
解することができます。
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