無始無終

この宇宙は始めもなければ終わりもありません

2025年8月10日日曜日

唱法華題目抄(日蓮大聖人御書全集 新版7ページ)

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 ゆえに、阿竭多仙人は十二年が間恒河の水を耳に留め、耆㝹仙人は一日の中に大海の水をすいほす。かくのごとき得通の仙人は、小乗の阿含経の三賢の浅位の一通もなき凡夫には、百千万倍劣れり。三明六通を得たりし小乗の舎利弗・目連等は、華厳・方等・般若等の諸大乗経の未断三惑の一通もなき「一偈一...
2025年8月3日日曜日

唱法華題目抄(日蓮大聖人御書全集 新版6ページ)

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  その上、「五種法師にも、受持・読・誦・書写の四人は自行の人、大経の九人の先の四人は解無き者なり。解説は化他、後の五人は解有る人」と証し給えり。疏記の第十に五種法師を釈するには、「あるいは全くいまだ品に入らず」、また云わく「一向いまだ凡位に入らず」文。文の心は、五種法師は観行五...
2025年7月28日月曜日

唱法華題目抄(日蓮大聖人御書全集 新版5ページ)

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そもそも、「大通結縁の者は、謗法の故に六道に回るも、また名字即の浅位の者なり。また『一念随喜』『五十展転』の者もまた名字・観行即の位」と申す釈は、いずれの処に候やらん。委しく承り候わばや。また、義理をも知らざる者の、わずかに法華経を信じ侍るが、悪知識の教えによって法華経を捨てて権...
2025年7月25日金曜日

唱法華題目抄(日蓮大聖人御書全集 新版4ページ)

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これを「天台・妙楽、初随喜の位と釈せられたり」と申さるるほどにては、また名字即と釈せられて侍る釈はすてらるべきか。  詮ずるところ、仰せの御義を委しく案ずれば、おそれにては候えども、謗法の一分にやあらんずらん。その故は、法華経を我ら末代の機に叶い難き由を仰せ候は、末代の一切衆生は...
2025年7月23日水曜日

唱法華題目抄(日蓮大聖人御書全集 新版3ページ)

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  ただ弥陀の名号のみを唱えて順次生に西方極楽世界に往生し、永く不退の無生忍を得て、阿弥陀如来・観音・勢至等の法華経を説き給わん時、聞いて悟りを得んにはしかじ。しかるに、弥陀の本願は、有智・無智、善人・悪人、持戒・破戒等をも択ばず、ただ一念唱うれば、臨終に必ず弥陀如来、本願の故に...

唱法華題目抄(日蓮大聖人御書全集 新版2ページ)

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  仰せについて疑わしきこと侍り。実にてや侍るらん、「法華経に説かれて候」とて智者の語らせ給いしは、「昔、三千塵点劫の当初、大通智勝仏と申す仏います。その仏の凡夫にていましける時、十六人の王子おわします。彼の父の王、仏にならせ給いて一代聖教を説き給いき。十六人の王子もまた出家して...
2025年7月22日火曜日

唱法華題目抄(日蓮大聖人御書全集 新版1ページ)

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   ある人、予に問うて云わく、世間の道俗、させる法華経の文義を弁えずとも、一部・一巻・四要品・自我偈・一句等を受持し、あるいは自らもよみかき、もしは人をしてもよみかかせ、あるいは我とよみかかざれども経に向かい奉り合掌・礼拝をなし香華を供養し、あるいは上のごとく行ずることなき人も...
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