2011年11月22日火曜日

生死一大事血脈抄

「生死一大事血脈抄」に「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとする」(御書1337ページ)と仰せのように、血脈とはもともと万人に開かれたものなのである。

 血脈とは、師匠から弟子に法が受け継がれることを祖先から子孫に血統が伝わることに譬えた言葉である。血脈の本義について日蓮大聖人は「信心の血脈」(同1338ページ)と御教示されている。

 この点に関して日有上人は「信と云ひ血脈と云ひ法水と云ふ事は同じ事なり」(富士宗学要集第1巻64ページ)と述べ、さらに日亨上人は「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり(中略)若し信が動けば其法水は絶えて来ることなし」(同176ページ)と述べている。

 要するに血脈と信心は同義であり、日蓮大聖人が御教示された通りの正しい信心があれば血脈があり、その信心を失えば血脈がないということになる。それが「信心の血脈」ということである。

 池田名誉会長も「仏法の根本は、どこまでも『信』である。『地位』でも『権威』でもない。『信心』の二字にこそ血脈は通い、生き生きと脈打つのである。もしも信心を失い、信心が狂った場合には、立場が高いほど、むしろ厳しく『法』によって裁かれることは間違いない」と語っている。
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☆日蓮大聖人に違背して信心の血脈を断とうとする、日顕宗のような悪い血脈こそ、断たなければなりません!


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