かくのごとく存じて、父母・師匠等に随わずして仏法をうかがいしほどに、一代聖教をさとるべき明鏡十あり。
……
かの人々を信ずる輩は、おそろし、おそろし。
(報恩抄 創価学会御書新版213ページ~217ページ)
最も正しい法華経以外は、部分的にしか語られていない不十分な経ですので、決して頼れませんね。
この宇宙は始めもなければ終わりもありません
かくのごとく存じて、父母・師匠等に随わずして仏法をうかがいしほどに、一代聖教をさとるべき明鏡十あり。
……
かの人々を信ずる輩は、おそろし、おそろし。
(報恩抄 創価学会御書新版213ページ~217ページ)
最も正しい法華経以外は、部分的にしか語られていない不十分な経ですので、決して頼れませんね。
●池田先生の青年部室長時代の闘争
現場第一である。
そして、同志が苦しまないよう、戦いやすくなるよう、
また、広布の長い展望のうえから、電光石火のスピードで、
あらゆる課題に手を打っていった。
机上で小手先の策を練るのではない。
自らが最前線に飛び込み、誰よりも苦労して、
智慧を湧かせ、活路を開いていくのだ。
現場を見ずに下す判断は、的外れなことが多いですね。
「師」とは師匠授くるところの妙法、「子」とは弟子受くるところの妙法、「吼」とは師弟共に唱うるところの音声なり。(新1043・全748)
【通解】
「師」とは師匠が授ける妙法、「子」とは弟子が受ける妙法であり、「吼」とは師弟が共に唱える音声をいう。
極悪を打ち砕き続けましょう。
追撃の手を緩めてはいけません。
法華経の行者あらば、必ず三類の怨敵あるべし。
三類はすでにあり。法華経の行者は誰なるらん。
求めて師とすべし。
一眼の亀の浮き木に値うなるべし。(開目抄、御書新111ページ・全230ページ)
【通解】
法華経の行者がいれば必ず三類の仏敵が現れる。
三類はすでに現れた。
法華経の行者は誰なのか。
求めて師とすべきである。
それは、一眼の亀が浮き木に巡りあうようなことである。
三類の強敵は必ず現れるものなので、
現れたら自分が法華経の行者である証として、むしろ喜びましょう
●池田先生がご紹介する牧口先生の言葉
牧口先生は、勇気の無い傍観者には厳しかった。
●池田先生の言葉
戸田先生も、生涯、牧口先生に対して「師弟の道」を貫かれました。(中略)
大事なことは、師匠の教えを自身の生活の中で現実に現すことだと教えてくださいました。(中略)
仏法の根幹は「師弟」です。
「師弟」という、何よりも深く、強く、
そして美しい生命の交流の中でこそ、
師弟の生命は「小我」への執着を打ち破り、
「大我」に立脚した境涯を開くことができるからです。
師弟不二であれば何事も成し遂げ、
一切に勝利していけます。
「師弟の道」は、「絶対勝利」の大道なのです。
師弟の道を生き抜き、やりたいことは何でもやりましょう!