2012年6月25日月曜日

桜梅桃李のままに

桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見すれば
是れ即ち量の義なり(御義口伝巻下、御書784ページ)


【通解】
桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの当体を
改めず、そのままの姿で無作三身(本来ありのままの仏)と
開きあらわしていくのである。
これが一切を摂めることであり、(無量義の)「量」の義である。


常にありのままの姿でいられたらどんなに楽であるかという
望みが実現するのが日蓮大聖人の仏法です!



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