悟る時をば仏と名けたり、譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と
見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり
是を磨かば必ず法性真如の明鏡となるべし
【解説】
この御文では、唱題行が”生命変革の実践”であることを
示す”道理”を明かされています。
すなわち、仏と衆生といっても、それぞれの生命に超えがたい
”隔て”があるのではなく、”衆生の生命こそ妙法の当体である”
と悟っているのが仏であり、そこを迷っているのが衆生(凡夫)
であるという、迷・悟の違いにすぎないと仰せです。
このことを鏡を譬えとして、映りの悪い鏡も磨いたならば、
玉のように輝き、全てのものをよく映すことができるような
ものであると仰せです。
無明という根本の迷いに覆われた生命は磨かれていない鏡の
ようなものです。
鏡は磨けば物をくっきりと映し出します。
同じように、生命も”磨く”ことで、真実の悟りの生命と
現れることを教えられているのです。
つまり、どんな人にも悟りの生命が厳然と具わっており、
仏界を現す”生命の変革”が可能であることを示されて
いるのです。
誰もが仏なのです。
それを信じていないのが凡夫となるわけです。
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